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大阪地方裁判所 昭和43年(わ)3405号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は「被告人は、昭和四三年一〇月二一日午後一一時一五分頃、大阪市南区難波新地五番町七二番地先付近路上において、全関西学生御堂筋デモ実行委員会等主催の集団示威行進に際し警備中の大阪府警察本部警備部隊に投石する等の違法行動をなした多数の学生らの規制、検挙、群集の整理等の任務に従事していた同警備部隊第三九中隊長警部田中孝一指揮下の警察官に対し、石を投げつけて暴行を加え、もって右警察官の前記職務の執行を妨害したものである。」というのである。

二、そこで、被告人の投石行為の存否につき判断する。

(一)  本件発生直前の現場の状況

昭和四三年一〇月二一日、総評大阪地評・関西学生諸体主催のいわゆる「国際反戦統一デー」御堂筋デモが行なわれ、本件現場である大阪市南区難波新地五番町七二番地先路上の同日午後一一時一五分頃の状況は、御堂筋を南下した多数の学生集団はほぼ解散し、警備のため出動した大阪府警察本部警備部隊第一二大隊第三九中隊所属の機動隊員一一一名が多数の群集と対峙している状態にあった。

当時、群集は高島屋百貨店西北、阪神高速道路直下および東側付近の前記路上に南東に向かって約五、六列の層をなしてひろがり、約一四、五メートル東方において南北に規制線を張る前記機動隊と相対し、被告人は右群集のうちの前記高速道路東側下辺りの最前列より二、三列目に立ち、その右斜め後方約二メートルのところに被告人を現行犯人として逮捕した府警本部警備部警備課所属警部補谷利夫が、その左斜め後方数メートル、群集の最後列から後方一、二メートルのところに同課所属巡査部長井上保が、それぞれ位置して警戒および採証に当っていた。

以上の事実は≪証拠省略≫を総合してこれを認める。

(二)  本件投石行為と被告人との結びつき

被告人が本件投石行為をなしたか否かについての直接的な証拠は、前記谷利夫の当公判廷における供述のみであるので同人の供述を検討することとする。同証人によると、その目撃の状況は「群集の中から投石をする者がないかということで群集を見ておったわけなんです。そうしたときに被告人の頭の付近からぱっといわゆる野球でいえばフライのようなかっこうで上がったのを現認しまして、これが石投げたと思った瞬間に被告人が逃走をはかった」ので、これを公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕したというのに尽きるのである。同証人は、右の外に石の飛んだ位置につき「被告人の頭の上の方から出た。」あるいは「頭より前から飛んだ。」とも述べている。

しかしながら、以下に述べる二つの疑点から右証言をもって直ちに被告人が投石をなしたものとなすことはできない。

第一に、証人谷利夫は被告人の頭の上から石が飛ぶのを見たが、その際被告人の手や肩の動きを全く見ておらず、頭の動きについても上下左右いずれにも大きな動きがあったことを断言し得ないのみならず、むしろ全体として見れば極端な動きはなかったと受け取れる証言をしている点である。同証人は同証人から特に見えない状態でなかったにも拘らず手や肩の動きを見ていないというのである。そして同証人の証言によると、同証人が目撃した石は拳大のコンクリート塊で、最高三、四メートルの高さで一四、五メートル離れた機動隊の位置まで飛んだことが認められるのであるが、経験則上右の如き態様の投石をなすのには、かなりの力が必要とされることが明らかであり、ましてや投石者の頭のすぐ前に石が飛んでいる時点は、投石直後であると認めるのが相当であるのにも拘らず、右時点で被告人の手や肩が動くのを見ておらず、殆んど頭の動きもなかったというのであるから、被告人を投石者と見るにつき、いささか疑念をさしはさまざるを得ない。身体を静止させ、手を振りかぶらず下から上へ手を振り上げて投石する方法も考えられないではないが、そのような投げ方では前記の如き高さおよび距離の投石をなすことは著しく困難であると思われる。

第二の疑点は、被告人の後方、すなわち群集の最後列より一、二メートル後方に離れた位置で警戒に当っていた前記井上巡査部長が、同時刻頃本件石塊と思われるものを目撃し、当公判廷において、その石塊の起点は、五、六列に層をなした群集の最後列に近いところであるとし、特に右石塊の起点につき石の飛んだ角度から最後列付近であることは明白である旨かなり確信をもって証言している点である。証人井上保の当公判廷における供述によれば、午後一一時一五分頃ひとつの石が群集の最後列あたりから機動隊に向かい山なりに飛んで行き、どこから飛んだか確かめるために手前を見ると谷警部補が「こいつや。」というような声を出して被告人を逮捕しようとしていたというのである。当時の投石は散発的で他の石と見誤る可能性が少ないこと、谷証言による目撃および逮捕の状況とタイミングが合っていることを考えると、井上巡査部長の目撃した右石塊は、本件の石塊と同一のものである可能性が極めて大であるというほかはなく、前認定のとおり群集の最前列から二、三列目にいた被告人が右投石行為をなしたとすると前記谷証言は同人の見誤りによるものではないかという疑が存する。

以上二点の疑問点が存する以上、証人谷利夫の本件石塊が被告人の頭の前から飛んだとの証言のみをもって被告人が本件投石をなしたものと認めることはできない。そこで、さらに、被告人の弁解の合理性等について考察する。

(三)  被告人の弁解の合理性

被告人は、本件石塊が飛んだ直後群集の中で唯一人逃走をはかるという一見不可解な行動をとり、これが谷警部補の現行犯人逮捕の理由の一つにもなっている。被告人は当公判廷において右の逃走の理由につき、当時約八メートル後方からヘルメットをかぶった学生数人が投石をし、これを規制するため機動隊員が一せいに向きを変え、自分の方に押しかけて来たように思ったためである旨弁解している。これに対し、証人谷利夫および同井上保は、午後一一時以降同一一時二二分までは本件現場では投石はなく、従って機動隊が規制に出たことはない旨一致して証言しているが、同じく現場で警戒に当っており、被告人の逮捕に協力した西警察署警部沢井春見の当公判廷における証言によると、被告人が逮捕される直前の午後一一時一五分頃においても、群集の中から散発的ではあるが投石があったことが認められ、しかも証人谷利夫の当公判廷における供述によれば、機動隊の当時の行動は投石があった場合部隊行動としては規制に出なかったが個々の隊員としては多少前方に進み出る者もあったことが認められるのであるから、多分に流動的な現場の状況を合わせ考えると、被告人の前記弁解はいささか不合理性が残るものの全くの作為と断定することはできない。したがって、被告人が逃走をはかったことをもってしても、被告人が本件犯行を行なったと認める資料となすことはできない。

なお、証人谷利夫の証言によると、同証人は、被告人を逮捕した直後護送車の中で、被告人に対し職業を問うたところ、パン屋の職人である旨答えたので両方のてのひらを見ると、非常に汚れており、パン屋の職人にしてはえらい汚れていると思いそのわけを聞いたところ、木に登ってデモを見ていたので汚れた旨弁解していたことが認められる。しかしながら、これについては、同証人自身本件石塊と被告人の手の汚れとの間に因果関係があるとまでは思っておらず、ただ、えらい汚れているなと思った程度であることが認められるし、また司法警察員作成の実況見分調書添付の本件現場付近の写真を見るとその付近に街路樹が並んでいることが認められるのであり、既に認定した本件現場付近の群集の状況を合わせ考えると、被告人の手が汚れていたことをもって被告人が投石したと認める資料とすることもできない。

被告人は、逮捕直後より、既に任意性に疑ありとして却下した自白調書を除いては一貫して本件犯行を否認している。そして、≪証拠省略≫を総合すると、被告人は昭和四〇年四月愛媛県宇和島市の高校を卒業し、同市内の洋菓子店、給食センターなどに勤務したのち、同四三年八月電気関係の学校に進学するため来阪し、浪速区内のパン卸売店に勤務しながら受験準備をしていた来阪後間もない真面目な青年であり、これまで全学連その他の団体に属したこともなく、至って気の弱い性格の持主であることが認められるのであって、特に本件投石行為を隠ぺいし、虚偽の供述をなすとも認められない。

そして、外に被告人の投石行為を認めるに足りる証拠はない。

三、以上の次第であるから、群集の中から唯一人逃走をはかるなどいささか不可解な行動は認められるものの、被告人につき本件投石行為をなしたとの事実は認められず、本件公訴事実については結局犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

(裁判長裁判官 山本久巳 裁判官 和田忠義 裁判官北野俊光は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 山本久巳)

〈以下省略〉

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